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 マテーラの町は常に岩場を掘削し
て築いた町、サッシをはらんできま
したが、サッシは、特に諸々の歴史
の移り変わり、経済の推移に呼応し
て実に様々に利用されてきました。
ある時期、洞窟はその大いなる機能
が再認識されますが、それは
7世紀
初頭のベネディクト派あるいはギリ
シア・ビザンティン派の修道士の山
岳宗教社会の時代までさかのぼりま
す。特にカッパドキア、アナトリア、
アルメニアなどから渡ってきた修道
士により、高度な石灰岩掘削技術の
融合した洞窟の中で暮らすという文
化がもたらされます。
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La Casa Grotta di vico Solitario
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 マテーラ・シアター・グループ
 インフォメーション
Link
   

 

 このようにして、岩場の中に掘り
抜かれた礼拝堂や教会、修道院が連
なる岩窟教会、修道士が集団で、ま
たは独り祈りを捧げた洞窟が生まれ
ました。しかしサッシ住民は、経済
状況が許す限りは基本的に洞窟を集
積場やワインの貯蔵庫、家畜小屋と
して利用しながら、洞窟から骨接ぎ
するように外へ外へと空間を広げ続
けました。

 マテーラはプッリャ州オートラン
ドに属していましたが、1663年バジ
リカータ州に吸収されると同時に、
1806年ポテンツァに移動するまで州
都になります。この時期がマテーラ
の最高の時代でした。
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 それはその時代を象徴するバロッ
ク様式の教会や多くの修道院のよう
な政治的、宗教的建造物が証明して
おり、今日、それらは公共機関や文
化施設の場となっています。
1810
代以降
1952年まで、マテーラは度重
なる農業経済のひっ迫、州都がポテ
ンツァに移動したことにより行政機
能を失ったことなどから長い衰退期
を過ごします。

 この零落は多くの貧しい人々に、
洞窟を住居として、人も家畜もいっ
しょくたに暮すのを余儀なくせざる
を得ないほど深刻なものでした。貧
窮とともに人口の圧迫が、かつて部
屋だった洞窟を洞窟の住居として、
また家畜小屋だった洞窟を家畜小屋
と一体の洞窟の住居に変えるのを加
速させました。

(続く)

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1946
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