マテーラ、サッシと洞窟に生きる
Home page    この痛ましい暮らしは1952年まで続きますが、時のイタリア首相ア
ルチデ・デ・ガスペリが定めたサッシに対する最初の特別令が出され
ると同時に、建築家ルイジ・ピッチナートが構想をまとめたマテーラ
の都市調整計画に基づいて建設された新市街地へと
15,000人を越える
サッシ住民が移動をはじめます。マテーラは当時人口
3万人で、1953
年から1968年にかけて全人口の半数もの人がサッシ地区から移動し
ていきました。
La Casa Grotta di vico Solitario
マテーラ、サッシと洞窟に生きる  
マテーラ・シアター・グループ  
インフォメーション  

 イタリア政府が新興地に新しい住居を供給する
ことで、この移動は現実のものとなりましたが、
同時に政府は廃墟と化した住居群の所有者になり
ます。事実サッシ地区のおよそ
70%は今日政府の
国有財産になっています。

 1993年サッシはUNESCO国連教育科学文化機関が
保護する人類世界遺産に登録されます。現在、そ
のすばらしい環境としての、歴史としての、芸術
としての資産、またこの壮大な記念碑を活かすよ
うに多角的な修復活動、建造物の再生活動の対象
となっています。







 日本語訳 白旗寛子

人類世界遺産指定の
マテーラのサッシ

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